社労士試験の思い出⑥合格発表編
こんにちは、KOMODA LAW OFFICE 社労士の木貞です。
前回までは社労士受験2年目の勉強法についてお話しをしてきました。
前回までのコラムはこちら:コラム一覧
では、試験本番をどのように過ごしたのか?試験結果がどうだったのか?についてお伝えしようと思います。
〇試験前日
去年と同様に、博多のホテルに前泊しました。
佐賀から当日移動してもよかったのですが、事故などで移動できないリスクに備え前泊しました。
受験1年目の去年は夜中まで勉強しましたが、今回はジタバタしないと決めていたので、暗記ノートを軽く見直して早めに寝るようにしました。
〇試験当日
試験当日はまずコンビニに寄り、昼食のおにぎりを購入。
食べ過ぎると眠くなったりするので、あくまで空腹を満たすくらいの量に抑えました。
そして会場に着くまでの間は音楽を聴きテンションを高めるようにしました。
「これを聴くと自然とテンションが上がり戦闘力がアップしたような気になるよね!」
という音楽が誰にでもあると思いますが、そんな曲を寄せ集めて聴いていました。
私の場合はこんな感じです。
・映画ロッキーのテーマ曲(シルベスター・スタローン主演)
・大黒摩季「熱くなれ」(アトランタ五輪のテーマソング)
・アニメ聖闘士星矢の「ペガサスファンタジー」
知っている人ならわかると思いますが、これらを聴くと心が熱くなってどんな困難でも乗り越えていけそうな気がするんですよね笑
テキストや暗記ノートを見返すことは一切せず、試験開始直前までそれらの曲を何回転も聴いて自分を奮い立たせ、「俺は絶対に合格する!」という状態を作りあげました。
〇午前の選択式試験
そして迎えた2回目の本番、午前中は選択式試験。
特に苦戦した記憶はないのですが、国民年金法で物価スライド特例措置から出題されたのを目にしたときは「TACの答練で何度もやったやつじゃん!ラッキー♪」というルンルンな気分になったのは覚えています。
(のちにこの物価スライド特例措置の出題が、合格発表までの3カ月間に渡り私を絶望の淵へと追い込むことになるのですが、それはまたのちほど…)
〇お昼休み
選択式試験終了後の昼休みは買ってきたおにぎりを食べ、ひたすら音楽を聴いてテンションを上げることに注力し、ここでも一切テキストを見返したりすることはしませんでした。
音楽を聴き今までの努力を振り返りながら
「俺が合格できなければ誰が合格できると言うんだ⁈」
「俺が落ちたらその時は全員不合格だ!」
そんなことを心の中で叫んでいました。
どんだけメンタル重視なの⁈って感じですね笑
けど、メンタルが整っていると難しい問題に直面した時に落ち着いて対処できたり、自分を客観視できるだけの余裕が生まれ焦らないようになるので試験当日で一番大切な準備だと思っています。
〇午後の択一式試験
なんの波乱もなく午後の択一式試験も終了。
終ったという安堵感と、やりきったという充実感、そして「俺は合格しているぞ」という自信が入り混じってフワフワした気分のまま佐賀に帰った記憶があります。
〇試験後
さて、無事に試験も乗り切り、残すは答え合わせです。
試験日の夜くらいから予備校が独自に回答をネット上で公表するのですが、私の場合は1週間ほど答え合わせをしませんでした。
自信はあるのですが、万が一点数が悪いと今迄の努力が否定される感じになっちゃうのが嫌だったからです。
ただ、アルバイト先の労働基準監督官の方々から「早く結果を教えてよ」と言われることが多くなったので、覚悟を決め予備校が出した回答で答え合わせをしました。
「なにこれ…」
「はあ?」
そんな感じの第一声だったのではないかと記憶しています。
なんと選択式試験の国民年金が5点中1点だったんです…
TACの答練で何度もやった問題と同じ問題が出たんですから5点中5点のはずなんですが、それがまさかの1点…
急いで問題と回答を確認しましたが、やらかしてました…
自信満々に間違った回答をしていました。
ちなみに5点中1点が何を意味しているのか?
それは
「他の科目でどんなに良い点を取ったとしても奇跡が起こらない限り3カ月後の合格発表であなたは不合格になります」
という意味であり、余命宣告のようなものです。
選択式試験の合格基準は「各科目3点以上」、ただその問題の難易度が高ければ2点救済(「救済」=基準点の引き下げ)され、超難問であった場合であれば稀に1点救済もあります。(ちなみに0点救済は過去にありません)
つまり私は2点救済では当然足らず、1点救済という奇跡が起こらない限り合格できないのです。
ちなみに、他の科目は全て基準点をクリアしており、総合得点も問題ないラインでした。
ただ唯一「選択式国民年金1点」これが重くのしかかってきたのです。
さて、ここから私にできることは一つしかありません。
それは「祈る」ことです。
「選択式国民年金が1点救済になりますように…」
これを現実のものとするために合格発表までの3カ月間祈り続けるしかないのです。
ただし、一人で黙々と祈り続けるだけだと追い詰められて精神的に落ち込んでしまいます。
人間、追い詰められると何かにすがりたくなるものですが、そんな私がすがったものはネット掲示板の社労士試験スレッドでした笑
そうすると、選択式国民年金で私と同じようなヘマをやらかし1点しか取れなかった受験者が全国にけっこうな人数いることが判明したんです!
「選択式国民年金1点救済希望者は自分だけではない!俺は孤独ではない!」
という気持ちになり、会ったこともないネット上の受験生たちに妙な親近感すら感じるようになりました笑
一方で、スレッド内では救済措置完全否定派、2点救済ならあり得る派、1点救済当然派が自分たちの主張をぶつけ合うなどして熱い議論を繰り広げていました。
私は書き込みをしたことはありませんが、1点救済当然派を心の中で応援していく中で「1点救済は本気でありえる!」と勝手に手ごたえを感じ始め、日々捧げる祈りが確信的なものなんだと錯覚すらするようになりました笑
そして運命の合格発表の日…
これで私の2年間に渡る社労士試験勉強が終わりました。
そして安堵の気持ちと同時に、また別の気持ちが沸き起こりました。
それは
「マークシート方式なのになんで3カ月も合格発表まで時間がかかるんだ!」
という怒りです笑
正直なところ、3カ月間も色々な情報に振り回されハラハラドキドキさせられ精神的には追い詰められましたので、弄ばれたような気がして合格したとは言えちょっと腹が立ったんですね。
〇まとめ
まあこんな感じの締めくくりとなりましたが、これで私の社労士試験のお話しはおしまいです。
合格するまでの間は家族の応援が支えになりましたし、アルバイト先の労働基準監督署の方々には勉強を教えてもらうなど本当にお世話になったので、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
きっと受験生の方は何かを犠牲にしながらも、誰かに支えられながら試験当日を迎えるのだと思いますので、自分のため、そして誰かのために精一杯頑張って欲しいです。
余談ですが、合格発表の翌日に
「受かったけど、それになんの意味があるのだろう?」
と急に不安で冷めた気持ちになったことを記憶しています。
「社労士の資格を取って独立する!」と決めて勉強に打ち込みましたが、いざ合格すると「社労士試験に合格した人」ってだけで、世の中が私に何かをプレゼントしてくれるわけでもなく、明日も明後日も何も変わらないことに不安を感じたのです。
人生を変えるための切符を手に入れたことには間違いないのですが、採用試験に合格したわけではないので誰かが何かを準備してくれるわけではないのです。
幸いにも私の場合は、労働基準監督署でのアルバイト繋がりで、そのまま監督署で労働相談員になることができ、労働局のトラックやバスの労務管理指導員や年度更新指導員などを経験するなど、経験と人脈を築きながら独立開業を果たすことができました。
そして事務所をかまえパートさんを雇うこともできました。
今だから言えることにはなりますが、何の人脈も繋がりもないニートのまま受験した1回目の試験で落ちて良かったとすら思っています。
今は経営統合という形でKOMODA LAW OFFICEに所属し、試験合格時には予想もしなかったような仕事をさせてもらい充実した日々を過ごしております。
ただ、ここに至ることができたのは間違いなく社労士試験に合格したことが起点になっています。
受験生の皆さんにも持てる力を出し切って合格し、自分の未来を変える切符を手に入れることができるよう心から願っております!